一歩の重み

※これは2022年7月に書かれた記事です。
フジシタはジャガールタンクの製造真っただ中です!
娘のJ子が産まれて今日で6年3か月たちました。

6年前を振り返ってみました。
よかったら読んでいただけると嬉しいです。
題名「一歩の重み」
「日本と海外の懸け橋になりたい」
小さい頃の夢を追いかけ、大学時代はアメリカに1年間留学した。
営業力をつけるために新卒で入社した広告関係の会社は英語を使う機会はゼロだった。
その後、縁あって手伝うことになった実家の農機具店でも英語を使う機会はほぼなかった。
いつの間にか「日本と海外の懸け橋になりたい」という小さい頃の夢は
どうせ無理だと思い込み心の奥底に眠ってしまった。
周りに外国人を見かけても、声をかけたら変な奴って思われるかもと思い、
声をかけることはなかった。
その後結婚し子供を授かりたいと思った。
結婚して半年たったが赤ちゃんは中々できなかった。
不妊治療を3年続け待望の赤ちゃんを授かった。
妊娠して喜んでいた矢先に、つわりが始まってしまった。
丸2日間、2時間おきの吐き気で結局丸2日間寝れなかった時は、さすがに心が折れた。
妊娠2か月から続いたつわりは、妊娠6か月に少しずつよくなり始めた。
やっと楽しいマタニティライフが送られる!
ほっとしたのはつかの間だった。
妊娠8か月の検診。
医師から「今から入院しましょう。張りがあるね。しばらく張り止めの点滴をします。
24時間ずっとつけるからしんどいけど赤ちゃんの為に頑張ってね」
急遽入院することになった。
病室から歩いて自販機までジュースを買いに行ったら、看護師さんに怒られた。
「藤下さん、ジュース買いにったでしょ?歩いちゃダメです」
病室から自販機まで徒歩20歩。たった20歩歩くのもダメなのか。
ことの重大さを改めて感じた。
出産する直前まで約1か月半の間、ベッドの上で寝たきり生活が始まってしまった。
トイレとお風呂に入る以外はベッドで横にならなければならなかった。
なんとか、入院を乗り切りやっと退院することができた。
予定日の次の日に待ちに待った娘を出産。
ほっとしたのは一瞬だった。
出産後私の容体は急変した。
血が止まらず、近くの大学病院に緊急搬送されることになる。
約3時間の緊急開腹手術を受け、なんとか命を取り留めることができた。
目を覚ますと、私は酸素マスクをつけていた。足には血栓を防止するためのエアー
クッションがつけられ、大きくなったり小さくなったりしている。
エアークッションのせいで全く寝られない。寝られないし、体も動かない。
右斜め下をみると、尿を貯める袋が吊り下げられていた。
お腹にはドレーンという血をためる袋が装着され、その袋をいれるポシェットが
首からかけられていた。
手作りで作られたポシェットには手縫いで「一歩」と書いてあった。
初めてみた時には一歩の意味がわからないかった。
医師が説明してくれた。
「お母さん、大変でしたね。赤ちゃんは生まれた病院にいます。赤ちゃんは元気です。
赤ちゃんに会う前にまずはお母さんが元気になりましょうね。
お母さんの出血量は5リットルあったんです。人間の体重の8%がおおよその血液の量で、
お母さんは約60キロあったから血液の量は4.8リットル。ほぼ全身の血がでてしまうくらい命が危ない状況でした。
まずは、足を少しずつ動かしましょう。血栓を防止するためです。
血栓ができてしまうと、心臓や脳にとんだ場合、命に関わる可能性があります」
命が危ないほど壮絶だったんだ。信じられなかった。
1度の出産で、普通分娩と帝王切開を同時に経験してしまった。
さすがに体はボロボロだった。
ふと、娘のぬくもりを思い出した。
「うわぁ、あったかい」
大学病院に搬送される前に、娘の肩を少し触った時のぬくもりだ。
意識がもうろうとしながらもほんの一瞬娘に触れた瞬間、
また、偶然出産に立ち会ってくれた妹の声かけのおかげで私は意識を取り戻せた。
とにかく、落ち込む暇なんてない。
娘に会いたい。
まずは足を動かそう。食事は全て完食した。
医者からは「お母さん無理しないでください」と怒られるほどとにかく必死だった。
ベッドに寝た状態で両足を少し動かせるようになってきた。
退院するためには歩けるようにならないといけない。
座ることにチャレンジしたが中々できない。お腹を切っているので、
腹筋がうまく使えないからだ。休み休みチャレンジし、なんとか座ることができ、
時間をかけて座れるようになり、立てるようになった。
やっと立って踏みだした一歩。
健康な時は一歩踏み出すことの大変さなんて考えたこともなかった。
ポシェットに手縫いされた「一歩」という文字。
一歩の重みを肌で感じた。
また、「一歩ずつよくなるように」と想いをこめて一針り一針り縫ってくれた看護師さんの
気持ちが伝わった。
娘とはまだ会えないが、おっぱいはどんどん張っていく。
旦那さんが撮影してくれた娘の動画をみながら、
「ごめんね、ごめんね」と泣きながら機械で母乳をとった。
とれた母乳は旦那さんが娘のいる病院まで持っていってくれた。
出産4日後、なんとか壁に手をかけながらも歩けるようになった。
医師には「お母さん、大丈夫ですか?もう少しこっちでゆっくり体を休めた方がいいと思うけど、
どうしても娘さんの所へ行きたいんですね?わかりました。退院を許可します」
退院の許可を無理やりもらえた。
携帯の画面越しにしか会えなかった娘とようやく会える!
心から嬉しかった。
大学病院から娘のいる病院まで車で20分。
私には車の中での時間が永遠に感じられた。
「お、お母さんだよ。会いたかったよ」
出産から5日後、娘を初めて抱くことができた。
お母さんという言葉が震えた。
命を落としかねない出産を通じて、いつ死ぬかわからないと気づいた。
人生1度切り。何でもやりたいことをやろう。
そう心に決めた。
「日本と海外の懸け橋になりたい」
まずは夢への1歩を踏み出そう。
変な人と思われてもいい。私には娘がいる。
娘も私もしばらくして退院し、散歩できるまで体力が戻ってきた。
散歩をしていると、
自宅の隣に公園でベビーカーと一緒にベンチに座ってる外国人を見かけた。
「ハイ!」
この一声が、私の小さい頃からの夢だった
「日本と海外の懸け橋になりたい」という夢実現へ向けての大きな一歩、
そして親友に出会う大きな一歩になる。
農家と共に、地域と共に、社員と共に歩む
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